2020年のアメリカ映画「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」(J.R.ヘッフェルフィンガー監督)は、平和への祈りと人類へのメッセージを込めた芸術性の高い作品だ。1945年8月6日の広島で爆心地から1.2㎞の屋根の上で被爆しながらも生き抜いて、昨年10月に94歳で亡くなった父・美甘進示(みかも・しんじ)さんから丹念に聞き取った話をもとに、娘の章子(あきこ)さんがエグゼクティブ・プロデューサーとなって映画化した。昨年夏に広島で限定公開された時は、3週間の上映予定が7週間に拡大。今年7月31日(土)から全国でロードショー公開されることになった。
章子さんが書いた「8時15分 ヒロシマで生き抜いて許す心」(2014年、講談社エディトリアル)が原作本だ。英語版「8:15-A True Story of Survival and Forgiveness from Hiroshima」は日本語版の前年に出版され、現在、イタリア語、スペイン語、ポーランド語、ドイツ語版が出版されているという。
リモート取材で章子さんは「全国ロードショー公開の機会をいただいたことが非常にありがたい。自分自身が劇場で見た時に非常に臨場感を感じたので、ぜひ多くの方にご覧いただきたい。映画を見た人が何らかのインパクトを得て、これからの人生で逆境に負けないことや、物事を目の前のことだけで判断しないことなどを考えるきっかけにしていただけたら」と話す。それは進示さんが福一さんから受け継いで、章子さんにも伝えたこの映画の大切なメッセージでもある。
広島生まれの美甘章子さんは現在、カリフォルニア州を拠点に臨床心理医として活動している。「父は、私が中学受験に合格したことがわかると英語の家庭教師を見つけてきて、レッスンを受けさせてくれた。先生はアメリカへの留学経験がある女子医学生で、その先生がいなかったら私も今のように英語を話せていないし、アメリカで言葉がとても重要になる臨床の仕事にも就いていないと思います。小さい時から父は私に『章子は英語をしっかり勉強して、国や文化の違う人たちの橋渡しをする人になってほしい』と言っていました」
海外でも日本でも章子さんがいつも受ける質問がある。「あれだけの火傷を負い、放射能を浴びた父が、どうしてそれほど長く生き延びることができたと思うかとよく聞かれます。科学的な根拠のある答えではないのですが、自分の境遇について恨みつらみを引きずるのではなく、常に感謝の心を持ち、どうしたら自分は前進できるのかと前向きに考える人間だったから生き延びられたのだと私は思っています」
確かに負の心、暗い心は精神を痛めつける。「はい、その通りです。それは科学的にも証拠があるのですが、憤りや恨みの気持ちは、悲しいとか寂しいとか、ただ単純に怒っているという感情に比べて、免疫ホルモンの不活性化を実際に起こす。だから病気にもなりやすく、いろんな面で体に良くないと言われています。
許すことは難しいことです。心理学的に見た『許す』にも、いろんな層があります。学会などではどういうふうにしたら患者さんがより許す心を持てるようになるのか、それで自分がラクになっていくのかという専門的な話をするのですが。世界の精神科医学、臨床心理学の実践の中では、許す心の効用は非常に注目されている観念です。逆に、自らをむしばむ恨む心が、どれだけ人を苦しめているのかと思います」
父・進示さんは小さい頃からそんなポジティブな考え方の持ち主だったのだろうか?
「私の祖父・福一の影響が多大でした。進示本人はどちらかといえばひ弱で、それほど心が強いタイプではなかったと思うのですが、福一は物事を広い視点から見る人だったらしいんです。本に書いたエピソードですが、英語が敵性語として禁止された時、福一は『大きな声では言えないが、そんなバカなことはない。もしこの戦争に勝ちたいんだったら、英語も学ばずにどうやって相手の国を統治しようと思っているのか。捕虜の話も聞けない』ということをパッと言ったそうなんです。ほかにも戦前に『これから100年以内に豆腐は世界で人気のある食べ物になる』と、言ったそうです。これだけ良質のたんぱく質があって安価で、一般の人たちが食せるものは他にない。だから絶対に世界に広まると。
そういう先見の明、大きな視点を福一が持っていたので、父は福一をものすごく尊敬していました。原爆にあって負傷した父が死んでラクになりたいと思っていた時に『そんな若い体で死ねると思うな』とものすごく叱られたそうです。福一がそういう考え方の人でなかったら、進示は助かっていないし、その後も長く生きることはなかったと思うと、生前よく言っていました」
映画としては51分と短いが、様式美を感じさせる再現ドラマ、ドキュメンタリー、進示役の俳優のモノローグで構成され、内容は濃密だ。アメリカ人のヘッフェルフィンガー監督は「声なき声を聴き、見逃されてしまうものに光をあてる」という信念のもとに映像を作る作家として高く評価されているという。2年間日本に住んだ経験があり、長編デビュー作「虹の下に」は日本人サラリーマンを描いた映画で、第28回ミルバレー映画祭で世界初公開され「黒澤明監督や今村昌平監督の精神に触れたようであり、不屈の生の輝きと響き合う」と評されたという。
「ヘッフェルフィンガー監督は日本在住時に日本の文化をすごく勉強しています。自身がトランペット奏者でもあり、日本の文化、表現方法にとても興味を持ち、日本人のわび、さびをよくわかっている監督だからこそ、このような作品ができたと思います。
テーマ音楽として世界的に有名な作曲家、細川俊夫先生の『アヴェ・マリア』を使わせていただいていますが、これも監督の要望でした。フッと思いついて『細川先生のミュージック、使えないかな? 来週ぐらいには話したいな』と。私は『ありえないでしょ!』と言うのですが、家族や友人のつてを頼りながら、いろいろなことを実現できた。完成までは本当に奇跡の連続で、天使に見守られながらできていった作品です。当時父はまだ生きていましたから、私は福一さんが見守ってくださっているのかな、人類のために宇宙が味方してくれているのかなと考えました」
「プロデューサーのニニ・レ・フュインは私と一緒に、人間性を向上させる教育プロジェクトに関わっています。監督はそのプログラムの受講生でした。映画を作ることになった時、カンヌでプレミア上映した作品(ロビン・ライト監督『ザ・ダーク・オブ・ナイト』)をプロデュースした経験があったニニが『この作品もカンヌに出せると思う』と言ったので、カンヌ映画祭の締め切りの3月に照準を合わせて2020年1月から撮影を始めました。原作本の中から、このシーンは絶対に入れようと、監督とプロデューサーと私の3人で話し合いながら。1月の2週目に広島で、最後の週にニューヨークのスタジオで撮影。それで撮影は終わりの予定だったのですが、ニューヨークでのドキュメンタリーシーンを2月末に追加で撮影しました。3月にサンフランシスコに帰った途端にロックダウンになって、すべてのプロダクションが止まった。編集作業を経て完成したのは2020年6月でした。急いだために雑になったところはあったが、急いだことで完成させることができて、昨年広島で限定上映することもできたのです」
ハリウッドで映画化の話もあるという。「脚本はできています。監督も投資しようという会社もあるのですが、投資する会社はアカデミー賞ノミネート以上のクラスの監督が撮るのでないと出資しないという。アメリカで原爆の映画を作るのは非常に困難なことで、作ろうとしている人たちは何人かいますが、私は原爆をメインのテーマにしたアメリカ映画は1本も知りません。『はだしのゲン』を映画化しようとした有名な監督さんもいらっしゃいましたが、資本が集まらなかったり、世論を気にして売れないんじゃないかと途中で挫折しています。だからこそ、投資側はアカデミー賞ノミネート以上の監督であれば押し通せるだろうと考える。しかしそういう監督は向こう4年ぐらいのプロジェクトが決まっている。また、そういう監督は資金が先にないとコミットしない。監督か、資金か、両方がいっぺんに決まらないと撮影には入れません。かなり時間がかかると思っています」
【上映情報】7月31日(土)から第七藝術劇場で公開。8月1日(日)12:45の回終了後、美甘章子さんの舞台挨拶がある。8月13日(金)から京都シネマ、8月14日(土)から神戸アートビレッジセンターでも公開される。
「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」公式webサイト https://815hiroshima-movie.com/
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